阪神間モダニズムという建築文化


阪神間モダニズム

独自に発展した芸術文化

芸術というものは常に進化するものである、と言えるでしょう。イギリスにアメリカ、フランスなどなどその国独自な形で常に発展を続けています。その形は時代を超えるごとに変化を繰り返していくその様は、まさに人間の知識というものが増えていき、感受性が研ぎ澄まされているということなのかもしれません。日本にも倭国独特に発展した文化というものがありますが、その歴史もまた閉鎖的に発展していた私達の国に強制的といわんばかりにイギリスやフランスを始めとした芸術が日本の中に溶け込んでいきました。それらはその国独自の色を発するようになるのではなく、私たち日本に適合していくように変容していき、日本人が親しみやすいものへ開花していきました。閉じられていた花びらがようやく花開くように、私達の国でも独特の芸術文化を生み出していくようになりました。

芸術といっても国全てに統一されているのではなく、地域ごとにその特色を示しながら色を強めていくようになりました。それはここ阪神間でも独自に発展していくようになります。元々海沿いということもあって、鎖国を解くことになった日本へと流れ着くように兵庫県にも西洋文化が流れて込んでいきました。それは江戸時代からその後明治、大正、そして昭和へと文化はその時代に応じたものへと変化していくようになりました。時代ごとの芸術作品を見ていくとどういう風に進化を辿っているかを図れます。そういう風に考えると、芸術というものが心を豊かにしてくれるというのも頷けます。日本独自の文化を見ているだけでも確かに勉強になりますが、日本は西洋文化を取り入れることになってその後江戸幕府そのものが崩壊することになる大政奉還をきっかけに、日本という国は今までにない全く新しい国へと変化していきました。私達の生活や日常に使用するもの、急速的に西洋文化を取り入れていくようになって、和洋折衷という言葉が誕生していることも分かるように和と洋は融合を果たしていくようになりました。

こうした環境で私達が暮らす、もしくは利用してい建築物も同様に西洋の格式を建築学に取り込んでいくようになりました。兵庫県を中心に独自に発展することになる建築様式があります、それを『阪神間モダニズム』という建築様式が誕生することになります。それは建物はもちろんのこと、生活や文化にもそれまでにない私達の暮らしを実現することに成功するようになりました。この概念は兵庫県を中心としていますが、これは六甲山系と海に囲まれた理想的な地形を有している阪神間を中心にはぐくまれるようになりました。

このモダニズムは先ほど話した阪急百貨店もこの文化が発展し始めた時期に誕生しているので、その影響を直接受けています。まさに日本独自で発展した近代化に伴う日本近代芸術の誕生した一例といえるでしょう。良いですね、元々あった西洋文化を日本人がなじむようにして改良を加えていくことで輪の世界を崩すことなく日本の一つの文化として地位を確立することになったと考えると、感慨深いところがあります。その地域に住んでいる人は当然ですが、日本人としてもこうした歴史を見ていくことでいかに私達の暮らしそのものの基盤になっていることを知ることが出来るので、そこから感じることの出来る当時の芸術館を推し量れることは貴重な体験でしょう。ですがこう考えることが出来るのもそれなりに年を取らないと無理でしょうね。子供、特にこういったものに対して関心を抱かない年代の青少年達には、退屈なものでしかないことも事実でしかありません。もちろん中には芸術関係に将来進もうと思っている子供たちにとっては、完成を研ぎ澄ます機会として良い勉強時間となりますが、そうでないと正直そこまで面白いと感じることではないことも認めなくてはいけないでしょう。実際、私も中学生時代の頃はそういったものに関してはそこまで関心が強かったということはありませんでした。単純に、ただ何となくみて適当にレポートを書いて提出する、といった流れでしかありませんでした。

こういった芸術のよさを伝えるという作業に関しては、いかに大人が子供に分かりやすく、その魅力を伝えられるのかということが鍵かもしれない。芸術というのは感情で感じ取るものである、等と言いますがまず芸術に対しての基礎的な知識といったものを備えていないことには、何も得られるはずありません。いきなり芸術鑑賞といって博物館や美術館などに行っても、簡単にこういう概念だということを講義するだけで全く捉え方が異なってくるものです。そう考えると、美術館などに訪れる際にはやはり芸術というものに少しばかりの知識を備えた状態で趣く、というのは必要なことではないでしょうか。そうなると今まで私も学校で何度かそういった博物館に訪れたことはありましたが、館内で説明や講義をされても正直知識としては不十分でした。パンフレットなどに具体的にどのようなものなのかということを記されていても、断片的な内容でしかないため実際に何も感じ取れないで帰った学生、というのは少なくないのではと思います。芸術ほど難しいものはありませんが、それでも基本的な概要は身につけておかなければいけないでしょう。何事も基礎は大事ということです。

阪神間モダニズム誕生の経緯

少し話したが反れましたが、ここで少し阪神間モダニズムがどのようにして誕生することになったのかその経緯を見てみましょう。まずその歴史の始まりとしては明治時代が始まった直後まで遡ります。当時日本は清国と圧倒的不利な戦争とまで呼ばれていた日清戦争を繰り広げていました。その当時には大阪という街は東京に当たる江戸を凌駕するほどの経済都市として発展を続けている最中でした。それと同時に隣接している兵庫県神戸市もまた、海に面していることで他国との貿易を盛んに行なっていたことで横浜以上の港湾都市として成長を続けていました。すべてが順風満帆といわんばかりにこの二大都市は産業を拡大していくことになりましたが、一般市民が暮らしていた既成市街地の住環境そのものは急速的な経済発展に伴う環境破壊の影響で、人間が住むということを考えたときにはあまりよろしくない方向へとシフトしていくことになってしまいます。

その一方で路線の建設が相次いで、それまで未開発地域であった神戸・北摂近郊の農村地帯が今後開発していくには最適の地域として注目されるようになりました。その後、風光明媚な六甲山南斜面鉄道沿線である阪神間で、快適な住環境創造をすることを目的とした、郊外住宅地の開発が始まっていきました。

契機の一つとして明治期において、京阪神間の豪商の豪壮な邸宅が、住吉村地域に陸続と建築されていくようになります。これにより、大正期には実業家の他当時の新興階級でもあった無産中流階級の住宅地として発展を遂げていくことになりました。開発が進められたことでこの地域にも新たな住民が増えていくことになり、その中には芸術家や文化人といった芸術関係の仕事を行なっている人が経済的環境などが整ったことで、この地域に多く住むようになりました。

こちらにともない、別荘地であった六甲参上及び緑豊かな市街地となっている山麓や、富裕層を対象とした、様々な文化・教育・社交場としてのホテルや娯楽施設などが造られていったことで大リゾート地として誕生することになりました。こうしたことで、よりつよく西洋文化の影響を受けることになって、日本人が暮らしていく上で便利となるように独自の生活様式へと発展していくことになります。

現代建築にふれる

現在でも屈指の伝統的高級住宅街

この文化から見て分かるとおり、私達の生活基盤にどれだけの影響を与えているのか直ぐに分かるでしょう。ここから始まった独自の文化はやがて日本全国へと広がっていくことになって、現在まで普通に利用している形へと変化していきました。私達の今の暮らしがあるのは、この阪神間モダニズムが誕生したおかげ、そういうことになります。丁度この頃の江戸というものはやはり発展を続けていたと思いますが、それでも兵庫県や大阪などの早い段階から西洋文化を取り入れていた地域と比べたらやはりその差はで歴然としているでしょう。

その後この阪神間モダニズムが誕生した地域は全国屈指の高級住宅街として、現在でも多くの富裕層が暮らしている人気の地域となっているほか、この地域を参考にして田園調布や軽井沢などの高級住宅街モデルとして発展していくことにもなるのです。近代芸術という学問の中ではかなり重要な項目ですね、この阪神間モダニズムを解することで現代建築を理解するには必要な文化といえます。

ではこうした文化によって誕生することになった建築物を紹介してこうと思いますが、建築物はかなりの数が誕生しているのでさすがに全てを紹介することは出来ないので、ここからは私が偏見と独断で決めた阪神間モダニズムによって生まれた建物を紹介して行きたいと思います。

ネットも良いけどショップへ行こう!

2011年に残念ながら閉店したモザイク銀座阪急ですが、実はこちらの建物にはある建築様式が存在していたのです。ここではそんな阪神から生まれた建築文化を紹介して行きます。

モダニズム
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