阪神間モダニズムという建築文化


西宮市立図書館

兵庫県西宮市にある由緒ある図書館

歴史を感じさせるということはそれだけ時代を感じ取れることに他ならないでしょう。時代を感じ取るという意味ではもちろん建築物でもそうですが、基本的に当時を知る手段としては文献など、紙に文章などを記した媒体のもので情報を私達の知識として蓄えていくことになります。そしてそんな情報をたくさん抱え込んでいるところといえば、図書館でしょう。そしてそんなとある図書館もまた阪神間モダニズムの一つとして建築物として歴史を刻んでいます。その建物というのは兵庫県は西宮市にある『西宮市立図書館』が、次に紹介する近代建築の一つとなっています。

とは言っても、こちらもまた時代の影響もあってかその当時のままの建物を使用しているということはなく、また図書館として機能をいくつも分散して維持しているので、どれも阪神間モダニズムとして考えるとしたら当てはまらないのが少し残念なところではあります。ではこの図書館としての歴史を簡単に見てみることにしましょう。

西宮市立図書館の歴史

こちらの図書館の始まりとしては、阪神間モダニズムという文化が定着して始めていた頃の1928年、兵庫県市内にある、現在では西宮を代表する大手清酒メーカーの原点でもある酒造業白鹿当主、辰馬吉左衛門の寄附によって六湛寺町に建設された旧西宮市立図書館がその全ての発祥となっているのです。その当時の図書館こそまさしくこの当時の文化そのものを投影した建物として建築されているのです。建物は白を基調としたデザインとなっているので、当時の日本からすれば異色であり、そして周りと比べたら非常に目立つ外壁をしていました。

その後図書館の機能としてはますます拡大していくこととにあり、2013年現在で見ると全部で11ヶ所に関連している施設が点在しているのです。西宮全てをカバーできている、とは大げさすぎるかもしれませんが、それでも都市部に住んでいれば西宮図書館としては実に9軒も存在していることになります。こんなにいるんですか、と思いますがまぁそこはきっと人口の多さも関連していることもあるからでしょう。

具体的な歴史の流れとしては、以下の通りとなっています。

  • 1928年 - 旧西宮市立図書館、開館。
  • 1929年 - 館外貸出を開始。
  • 1945年 - 8月5日の空襲で北側附属木造建物消失。
  • 1948年 - 北側焼け跡にCIEライブラリーを含む北館建設。
  • 1949年 - 一般閲覧料を無料化。
  • 1955年 - 増設された新館の閲覧室に開架方式を採用。
  • 1958年 - 自動車文庫(いずみ号)購入
  • 1976年 - コンピュータによる貸出方式を導入。
  • 1977年 - 越木岩分室が開室。
  • 1979年 - 段上分室が開室。
  • 1985年 - 「西宮市立中央図書館」が開館。
  • 1990年 - 北部図書館が開館。
  • 1992年 - 上ヶ原分室が開室。
  • 1996年 - 甲東園分室が開室。
  • 1998年 - 鳴尾図書館が開館。高須分室が開室。
  • 2001年 - 北口図書館が開館。
  • 2009年 - 山口分室、若竹分室が開室。
現代建築にふれる

旧西宮図書館の特徴

阪神間モダニズムとしての特徴を挙げるとしたら、やはり旧西宮市立図書館についてピックアップしておく必要があります。こちらの旧施設は残念ながら既に取り壊されて現物を確認するこtがでいなくなっていますが、当時の写真から考察をしていきましょう。

まず始めに飛び込んでくることとしては、非常に大きな窓でしょう。それまでの日本として時代において窓という概念はそもそも木で構成されています。さらに室内まで確認できるような透明性の高いものでもなかったでしょう。時代を感じるところですが、その昔を考えると一時期は家の中を他人が普通に確認することができる時代でもあっということを冷静に考えると、正直今では考えられないですね。自分の部屋でさえ、家族に見せることを躊躇うような時代です。日本人として感性が失われていると思うかもしれませんが、そんな昔の日本人の普段の生活行動を把握している人というのも中々いないでしょう。もしかしたら祖父や祖母にそういった関係がいたのかもしれませんが、私には祖父や祖母と呼べる人はほとんどいませんでした。唯一、母方の祖母が一人いましたが、父方の祖父と祖母には一度も会ったことがありません。祖父というのをよく知らない私には未知なることですが、もしかしたらまだ存命だった場合には幼少期の頃の話などを聞く機械があったのかもしれませんが、今となってはどうしようもないですね。

話がまたそれましたね、とにかく大きな窓ですね。この旧西宮図書館の大きな全面を多い尽くすような窓は当時からすれば斬新なデザインだといって良いでしょう。ですからもしかしたら当時の人たちはそんな異形な様相をしている図書館になじめなかったのでは、と思ったりもします。新しいものは確かに魅力的ではありますが、同時にどこか畏怖の対象ともなります。特に知識を持たない人からすればこれはどういうことなんだろうと、疑問に思うかもしれません。今でこそ窓という文化を持っているから良いとしても、日本建築で窓というものが普及したときには皆驚いていたかもしれないと考えられるのではないでしょうか。今の私たちには先代より受け継がれている知識があるために窓というものに恐れを抱くことはありません。ですが意味や用途などを知らない人からすれば異常、といえるかもしれませんね。

内装については情報を集めることが出来なかったのでなんとも言えませんが、やはり当時からすれば西洋文化を取り入れた日本独特の近代チックなデザインをしていたことは確かだと思います。歴史の移り変わりというものを眺めてみると本当にその深さにただ驚きと感動を覚えるばかりですね。

ネットも良いけどショップへ行こう!

2011年に残念ながら閉店したモザイク銀座阪急ですが、実はこちらの建物にはある建築様式が存在していたのです。ここではそんな阪神から生まれた建築文化を紹介して行きます。

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阪神間モダニズムという建築文化