阪神間モダニズムという建築文化


宝塚大劇場

いわずと知れた有名建築

日本国内において誰もが一度は必ず訪れてみたいと感じているのではないでしょうか。また中にはもう毎度必ずココに来ているという熱狂的な人も多くいると思いますが、毎年100万人も訪れているという宝塚歌劇団の本拠地『宝塚大劇場』もまた、阪神間モダニズムによる影響で建築された建造物になるのです。ですが、こちらの劇場は古くから存在しているところではなく、現在利用されている劇場は1992年に建造された2代目とも言える劇場となっているのです。初代の劇場こそ阪神間モダニズムの近代建築の一つとして数えることが出来ますが、老朽化が進んだことによって利用することができなくなってしまったため、1992年に惜しまれながら約70年という歴史に幕を閉じてしまうのでした。残念ですけど、代表的な建築物として宝塚歌劇団が演劇を披露していたところとあって、やはり往年のファンにとっては忘れられないものでしょう。あの初代劇場を忘れることなんてできない、そんな往年のファンもいるはずです。今回は、阪神間モダニズムに焦点を当てているので、初代にのみ焦点を絞って話をしていきましょう。

1924年建立

宝塚歌劇団に関しては、その華やかな栄光はもちろんのこと、戦争に左右されてしまって劇場を使用することができなかったという記録も残されているくらいとなっていますから、何かと不運にも見舞われています。時代という波に飲まれながらも劇場は何とか宝塚歌劇団がずっと利用していくことになりましたが、劇場そのものも波乱万丈な人生を送っています。こちらに関してはかなり前になりますが、有名女優をキャスティングされて当時の宝塚歌劇団の様子をドラマ化した作品がありました。私もリアルタイムでそちらを見ていたのですが、ずっと栄光という花道に彩られていた歌劇団に指した影というものがこれほど強かったのか、ということを思い知るような作品でもありました。多少盛られている部分はあると思いますが、それでも忠実に史実に即していたないようであったと個人的に考えています。

さて、そんな宝塚歌劇団が使用していた宝塚大劇場ですが1924年に建立し、総動員人数は3,500人を動員することが出来るホールとなっていました。雅史期阪神間モダニズムの最盛期に立てられているので、近代建築としては代表的な一例といって良いでしょう。当時と現在のホールで違うとすれば、まずまず動員できる人数が2代目は1,000人ほど少なくなっているというところでしょう。

この劇場はそれこそ宝塚歌劇団そのものを象徴するように歴史に花を残していましたが、火事などに見舞われてしまうといったトラブルに合っていましたが当時最も活躍していた劇団スターが数多く排出されるようになりました。しかしそんな華やかな歴史のページが急に白紙になります。それは戦争の影響によって、海軍に接収されてしまうということになってしまったのです。軍事拠点として利用するために海軍が抑えたということですが、後にこの劇場は日本の敗戦をきっかけにしてアメリカに接収されてしまいますが、その後無事に劇団そのものに劇場は返還されるのでした。

その後も宝塚歌劇団の活躍とともに多くの人たちが足を運ぶことになったが、先に話したとおり老朽化の影響で同じ敷地内に建築された大劇場が誕生したことで長い歴史に幕を下ろす形になるのでした。もしも現在まで利用されるようなことになっていれば、こちらの初代大劇場としての建築物としての価値は相当重要なものとして扱われていたことになっていたかもしれないでしょうね。今となっては憶測でしか話せませんが、それでも当時の人たちにとってはこの初代劇場はまさに時代の先端を突き進んでいる象徴であった、ということだけは揺るがない事実でしょう。

現代建築にふれる

外装

参考資料となるものは非常に少ないのでココからは推測でお話をすることになりますが、初代大劇場の外装はまさに近代芸術の一つといえるでしょう。外壁に煉瓦を使用して建てている建築物は、当時を見ても明らかに少ないことは明白となっています。兵庫県全体から見ても独特さはかもし出ていたというのは当時を知らない世代の私たちからしても容易に想像できます。一般市民がこの頃からレンガ造りの家に住んで生活しているなんていうのは、中々ありえないことだ。家が建てられていた可能性があるかもしれないですが、恐らくその家を建築している人はそれなりに身分も権威と財力に富んでいたことは確実でしょう。煉瓦といったものを入手するのも現在こそ容易ではあるかもしれませんが、昭和の頃で考えたら普通建築として使用することは発想として考えないでしょう。宝塚の劇場として使用することになったのは、それはあくまで芸術作品の域として含んでいるから、と考えて良いかもしれません。

現在の2代目となる劇場は南ヨーロッパ風の造りとなっていますが、この建物は完全に現代建築としての枠として捕らえるしかないと思うので、阪神間モダニズムとして考えるには少し無理があるでしょう。

ネットも良いけどショップへ行こう!

2011年に残念ながら閉店したモザイク銀座阪急ですが、実はこちらの建物にはある建築様式が存在していたのです。ここではそんな阪神から生まれた建築文化を紹介して行きます。

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阪神間モダニズムという建築文化